(無題です)

大震災があって以降、意外な面が見える人というのは非常におおくて
そういう事柄からも学ぶことがあるなあと思うのです。
おのおのの主張もそうですけれど、主張大合戦みたいなさなかにあって
本当に自分はなにをしたいのか(したいとおもうのか)
自分のしてきた経験は自分をどこへ動かすのかなどと、考えます。

一介の個人としてできる最良のことのひとつは、
オリジナルな落ち着きを見いだすことかなと思います。惑わされない。

2011 9 11 新宿アルタ前 柄谷行人 演説

#youtubeからの転載ばかりでごめんなさい。でもこれが一番わかりやすかったので。

自分は柄谷氏の「(安保以来)初めてデモに出た」以降の一連の行動について
いまいちピンとこなくて、柄にもないというか(シャレじゃない)
どうも「トランスクリティーク」の印象が邪魔をしてか、氏については
思考を深く深く、意味が壊れる瞬間まで止めないこと、といわれる印象がありました。
その他にももちろんいろいろな印象はあるけれどデモに参加する印象はない。

デモがいいとか悪いではなくて、参加するという態度表明は、彼の文脈にあったか、と。

でもこれはきっと文化なんです。
新しい文化がまだ生まれないけど生まれるかもしれない、その産婆役なのではないか。
繰り返しになりますが「反原発」をデモンストレーションできる自分ではないです。
したがってデモについての是非を述べているのではないのです。
誤解を承知のうえでいうと、自分において、デモ参加という選択肢は今のところない。
文化というのは知的なエネルギーのある形での放出ですから。

我々の国では、選挙にいかなくても、疑問を抱かなくても、怒らなくても、
それでも「主権者」といわれ、なおかつ特に責任も問われなかった。
それでだれかがなにか大きい組織をまわしてくれていると思っていた。
けれどもそれは幻想であり実は全員が揃いもそろって、
「”主権”をもった主体」がうまい具合にやってくれていると思い込んでいた。

なんとなく自分は恥じるのです。
街へ出るほどの怒りも感じない、それなのに不満を絶やさない我が日常に。

About paradis

うさぎと暮らしている音楽好き そして認識の先にあるものに触れたい 世界の果てとわたしの果てが一致する その瞬間を待ち続けています

2 Comments

  1. やの たけし

    いいね!

  2. やのさん

    通知のメールがスパムにはいっていて、今頃気づきました。
    ゴメンナサイ!

    難しいことはとりあえず抜きにしても(考えてもワタシにはすぐはわからない)、
    守らないといけない大切なもののために、できる行動するのが大事だと思ってます。
    可愛い命をつないであげるのが私たちの一番のつとめですしね。きっと。

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