パンケーキは3段目まで。

今日はGoodNeighborsに行って
盛永省冶さんの新作展を見に行きました。

おおよそ美しいものに対しての理解に乏しい
無粋が歩くようなわたしなので気も引けるのですが、
以前から拝見したいと思っていたのでいい機会と足を伸ばしました。

とてもしっとりしたいい器たちでした。

径が小さく、深い器は作られないですか?と伺ったとき
大きい木の材が手に入ったらなるだけ大きく作りたいと思って・・
というコトバになんだか深く納得して帰ってきました。

ヒトが手に取れるものなんていろいろと限りがあるので、
それぞれに深く気持ちを注げるのが一番だと思うのです。
なんだか最近あまりなかった満足がありました。

現代に生きる我々が
ものをほしくなるときって、不足を満たすときというよりも、
そのものを得るという意味をほしくなるときだと思います。
「ヒトは、他人が欲しがるものを欲しがる」とは何かの本で読んだ至言ですが、
確かに他人も欲しがるものでないと
「手に入れるという意味」を交換できませんのでまさにそのとおりだと思います。
欲しがる他人と手に入れた意味だけを交換し共有しているのです。

でも意味は無限ですから、その種類の欲望が充足され完了するのは不可能。
欲望が果てないということはある意味幸せな状態でもありますが、
止まらないエンジンを抱えているような居心地の悪さはやはりある。
居心地が悪いと気づいたときに、それをとめることはなくても、
いったん切るというか離れて、もっと静かな充足を自分で感じようという作業を行うことが、
満たされた生活への一途なのかもしれません。

自分だけが本当にほしいと思っているものを手に入れるということ。

About paradis

うさぎと暮らしている音楽好き そして認識の先にあるものに触れたい 世界の果てとわたしの果てが一致する その瞬間を待ち続けています

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