粗いメモのようなもの

組織がヒトに向ける暴力の中で死を選んだというヒトの話を聞いた。
でも釈然としない。
その事実がすべてではないことはもちろん承知しているのだが、
死ぬ前にすることはその組織を離れることではなかったか。

まあ正常な判断が下せない状況というのが極限状態なのであろう。
私がなにをいうべきでもない。

昨日より伊丹十三氏のエッセイを一気に読んでいる。
気づくことが多い。
ヒトはまず自分に偽物をみせてはならない。
自分が偽者になってはいけない。

そして本来、大人とは、自分がやりたいと思うことでご飯が食べれる
それだけの努力と才を備えているべきものだったのかもと気づく。
やりたいことをやっていくということには非常なエネルギーが必要で
だからこそ、行う仕事の純度も上がるのだろう。

私はもちろんのこと、多くのヒトは
組織の中で組織に守られる形でご飯を食べている。
呑み込みかねることも理解を超えたことも多い。
しかしそれは当たり前のことであって、
他人とは「自分とは違うものの総体」と言ってもいいほど自分とは異なるもので、
他人と身を寄せ他人に守られている以上、
自分のある部分は否定をしていかなければいけないのだ。
そして当然、自分も他人に対し、そのような作用を及ぼしている。

それでも、守られて生きていくほうが、楽なのである。
そこを忘れてはいけない。
そして、偽物でない自分というものも、追い続け見つめ続けていかないといけない。
それはむしろ、救いでもある。

About paradis

うさぎと暮らしている音楽好き そして認識の先にあるものに触れたい 世界の果てとわたしの果てが一致する その瞬間を待ち続けています

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