老化怖いコワイよね。

自己とは他者の他者である。

私が私のことについて考えるとき、
おそらく正しくは私のことは考えられないと思う。
では自己の輪郭をどのようにして描いているのか。
そのひとつが他者の他者になることによってだと思う。

他者と「異なる」ことにおいて自己を描いていく。
同じにはなりえないというそのことで、
人は自己を確立していくのだと思う。
他者と異なるということは他者との断絶ではない。

その差異を埋めるにせよ逆にさらに差を拡げるにせよ、
自分と別の者(もの)へ働きかけることは、
融和・対立とは別の次元での自己認識の方法のひとつなのだと思う。
話しかけ、話を聞き、憧れたり真似したり、読み入ったり。
違うなあと違和感を感じ時には反感を抱きながら
いろいろなものに接することで自己像はよりくっきりしていく。

自分とは何者なのか、何者だったのか。
己で認識する自己とは「そう思っていたもの」の抜け殻である。

スーツを着るようになっても、税金を納めるようになっても、
われわれは「なにかになる」ことをやめてはいけない。
それがことばを持って人の世にすごす楽しみなのだと思う。
可塑性を失った人間の退屈さこそが老化な気がする。

皺ができても白髪が目立ってきてもいいのだ(ホントはイヤだけど)
要は、「自分かくあるべし」みたいな不遜な認識にとらわれない
イカしたバアさんになれればそれでいいと思っている。

About paradis

うさぎと暮らしている音楽好き そして認識の先にあるものに触れたい 世界の果てとわたしの果てが一致する その瞬間を待ち続けています

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