現実を受け止めた瞬間

わたしは、若かりしころ、いろいろなことをひどく難しく考えていて、
到底「現実」というものを引き受けられる気がしない時期がありました。
大学に通っていたころ、好きな講義のひとつに「宗教概論」がありましたが、
実学の風土豊かなわが母校では
わたしのほかに二人ほどしか受講者のいなかった講義でした。

自分はキリスト教(カトリック)の元に育ちそれに制限される意識の行動もあったのですが
それでもその講義は好きだった。なぜならまったく「現実」からかけ離れた
一人の宗教学者の迷い・固執を聞くことで、自分の現実もいったん留保される感が
たぶんにあったからだと思います。

阪神大震災の報を受けたのはその講義の時でした。
その先生は人事のように話していた。
しかしそれは「現実」だったのです。

そのとき、強い衝撃でわたしにとっての「非-現実」と「現実」がくっきりと入れ替わった。
いえ「非-現実」などないのだと身体まで震えるほどに理解したのです。

テレビの向こうに広がる火事・瓦礫すべて、現実で、
わたしが現実逃避を願ったその講義ももちろん現実で、
とにかくわたしは、現実をどうにかして、処理しないといけないと。

ハイチの地震に思います。
遠くわたしの力も及ばないところではあるけれど、実際いま、強く現実に刻まれている事態なのだということを忘れないように。

阪神大震災の記憶に思います。
それが残した傷跡がすこしでも軽くなるように。また、逆に、傷跡を忘れないようにと。

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About paradis

うさぎと暮らしている音楽好き そして認識の先にあるものに触れたい 世界の果てとわたしの果てが一致する その瞬間を待ち続けています

10 Comments

  1. iso

    現実と非現実って紙一重ですね。
    こんな事自分におこるはず無いって思ってたような事が
    実際に起こったり。

    テレビ・メディアをとおして見るとどうしても、
    印象が薄くなってしまいますよね・・・。

  2. なんだかすごくわかるような気がします。
    若い頃って、脳の中に現実のひな形というか、バーチャル世界を構築していく時代なんでしょうけど、どのくらい精巧にひな形を作るかは、ヒトそれぞれなんでしょうね。

    paradisさんはすごく精巧にひな形を作ろうとして、その作業の途方もない膨大さに茫然として、作業が手つかずだった。
    それでひとまずは現実のひな形を作るのを保留して、ひな形のひな形を作る練習(宗教概論の学習)を始められた。

    それが阪神大震災をきっかけに、「私がひな形を作ろうが作るまいが、現実は既に存在している。つまり私が作っているのは現実そのものではなくて、そのひな形にすぎないのだから、それがいかに拙くても、(ひな形作りの)作業を開始するしかないのだ、というふうにハラを決められたのではないでしょうか。

    あ、勝手に想像してしまいました。すみません。
    paradisさんが現実のひな形作りに難渋されたのは、それだけ現実をきちんとみていたからだと思います。
    僕自身は現実の大きさ、重さを深刻に受け止めないままひな形を作る傾向にあるので、あまり悩まないのだと思います。

  3. isoさん

    そうですよね。
    想像を絶するとかよくいいますけれど、本当においつかないですね。
    でもそれはよい方向への意外性もあったりと。
    とにかく自分の目で見たものは現実なのだと思っています。

  4. shinさん
    そうです、本当に「腹をくくった」という表現がぴったりな感じです。
    真剣に世界に対峙する準備だったか甚だ怪しく・・・単純に現実逃避だったのかもしれませんが、
    頭の中でもてあそんでいるだけでは世界は転がらないと思いました。
    #でもそれ以来、今度は過剰に転がっている気がします(自分が)。

    shinさんの世界には薄い絹のような布が一枚、挟まっている気がします。

  5. あ、リアルとひな形の間にでしょうか。
    挟まっている感じは希薄なのですが、やっぱりそうなのかな。

  6. shinさん
    そうなのです、本当に勝手な思い込みで恐縮です。
    それかすでに現実を映し出すひな形の明確なものがどこかに厳然と完成していて、
    ある基準からそれたものは一定のテンポのずれを(敢えて)保っている感じといいますか。
    少なくとも現実をいきなり素手でわしづかみにはしない印象があります。

    トホホ思い込みばかりですが。笑

  7. それは僕自身があるミッションを担ってこの世界に訪れ、そのミッションを介してしかこの世界と関係し得ないのではないかというあきらめのようなものかもしれません。
    ミッションというと格好良すぎますが、あるこじんまりとした役柄のようなもの。

  8. shinさん
    ああ、その通りかもしれません。
    自分なりのささやかな役割とそして責任。
    でもそのようなあり方がもっとも人間らしいのだと思います。

  9. こんにちは
    私も考えたことがあります。大学の結構近くに原発があったのですが、
    この車で1時間弱にある原発とチェルノブイリにあった原発はどれだけの
    違いがあるのか、と。
    設備の違い等ほんの一瞬の油断と過信で消し飛んでしまうのでは、と。

    だからと言って反論ばかりではどうにもならない。
    逃げ出しても何も変わらない。
    今は非現実だけど、明日は現実になるかもしれない、と。

    でもね、不安や憤りを感じながら、忘れずに、でも囚われずにリアルを生きていく
    しかないと思うのです。
    そしてそんな憤りの、やり過ごせない気持ちになったら自分が行動するしか
    ないのでしょうね。今のところはやり過ごしてしまってますけど。

  10. Kouさん

    お返事にはならないのかもしれないのですが、
    今は一人の身体をはるかに超えたところの事柄まで知ることができるので
    「見聞できる現実」というものが広がっている反面、意外と判断する基準?よりどころ?は
    以前より狭いものになっている気がします。(あくまでも、私は)
    身体感覚を知的好奇心にどこまで沿わせられるかというものが、今よく考えることです。

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